人に任せる勇気
私は知りたがり、かつ自分でやりたがりである。
大学時代の研究テーマも自分で一からできるテーマに取り組んだ。テーマ自体にはそれほど興味は惹かれなかったが。
もう少し人に頼った方が生きやすいのになあ、効率的に仕事もできるのになあ、
とは思うものである。
しかし、心配性、かつ自分でやってみないと腹落ちしない性分なので、ついつい自分でやってしまう。
キャラの違いと言えばそうなんだけど、どうすればもっと人に任せることができるだろうか。
ゴールデンウィーク後の週末
毎日書くと言いながら、書くことがなくなってきた。
これは私の日々の暮らしが惰性なのだろうか、それとも皆同じようなものなのだろうか?
夜の街から活気が消えたことで、我々の生活様式は大きく変わったように思う。
この変化を柔軟に受け入れ、それを活かした行動を起こす人もいれば、何も行動を起こさない人もいる。
頭で考えているだけでは、何も生み出せない。少しでも行動していくことを心掛けたい。
仕事を想像する事と実際に携わることの違い
理想の働き方についてイメージするのは容易である。
しかし、イメージ通りに仕事を進めるのはなかなか難しい。改めてそう実感した。
GW中は読書等を通じて、自分の働く姿を勝手にイメージしていた。かなりスマートな働き方だ。
多方面に注意を払い、どのような困難も忍耐強く乗り越えていく、そのようなイメージをしていた、それが実現できると本気で思っていた。
しかし、やはり人と人との営みの中で紡ぎあっていくのが仕事なので、なかなかイメージ通りには進まない。
イメージする力が不足しているのか、自身の仕事力が足りないのか、おそらく両者なのだろう。
日々一つでも気づきを得て、成長していきたい。そのようなことを書きとどめられるような生活を送りたい。
40歳を超えた怖さ
最近、夜寝るときによく恐怖に襲われる。特に体調に異変が生じているわけではない。
先の人生が見通せる気がして怖いのだ。
30年もすれば、
- 子どもは独立して生活している。男二人なので、あまり家にも帰ってこないであろう
- 妻も生きているかわからない
- 仕事も退職しているだろう
- 状況によっては体調が悪く、家族に迷惑をかけているかもしれない
そのような状況において、私は日々何のために生きていけばよいのだろう、なぜ生きるのだろう、とう恐怖で眠れないことがある。
私が将来、そして今何をすべきか、何を遺すべきか、真剣に考えられていないから漠然とこのような不安に苛まれてしまうのだろうか。
折り返しが見えてきた人々の本音を聞きたい。
連休明けの仕事
仕事とは何だろう。
明日から11連休明けの仕事のことをふと考えてみた。
特に嫌というわけではないが、少し憂鬱な気持ちになるのはなぜだろう?
決められた時間に束縛されるからなのか、決められたルールの中で立ち振る舞わなければならないからなのか、とにかく仕事に対してあまり良いイメージを持つことはない。
ルールからはみ出して生きる勇気はない、しかしルールの中で生きる窮屈さも嫌だ、
生きること自体が苦しみなのかもしれない。
その苦しみがあるからこそ、楽しみもあるのだが。
取り留めのない、今の頭の中を書いてみた。
稼ぐ力
経済的な安定を得るためには、サラリーマンとしての稼ぐ力だけではなく、個人としても稼ぐ力を身につける必要がある。そのような努力を私は今まで怠ってきた。
要は、現状に不満を漏らすだけで、打破しようと考え、行動してこなかったのである。
そろそろ私はパワーを持つ必要がある。そのためには、考え、行動することが必要だ。
世の中をよく観察し、一歩を踏み出してみる。それを意識して、日々の生活を送っていきたい。
子どもの勉強
勉強は最良の先生に習うことで、効率的な学習が期待できる。
それに異論はないが、習うだけでは自分の身にならず、それを何度も復習し、自分の頭になじませることが重要である。要はいかに自分で反復練習し、理論を会得できるか、会得した理論を応用できるか、ということが勉強においては重要視しなければならないことだと考えている。それはある程度時間がかかる行為であり、学問には王道しかない。
子どもの勉強の面倒を見るのは、中学受験までと思っていた。中学受験をしたことがない私にとっては、中学受験でこのような難しい勉強を乗り越えたのだから、当然勉強の方法(主に復習の方法)は身についているものと思い込んでいた。
しかし、現実はそう甘くはなかった。長男はある有名難関塾に通っているのだが、
- 毎回復習テストの成績が悪く、補習を受けて帰る
- 補習を受けるほどの点数だから、自分でも身についていないことはわかっているはずなのに、勉強させてもすぐに終わった、次回は大丈夫だ、と言い張る
この繰り返しである(まだ3回であるが。。)
流石に今回3回連続補習を受けてきたので、かなり注意をした。これで反省してくれると良いのだが。